院長プロフィール

施術者プロフィール

当院はお出迎え、施術、お見送り、アフターフォローまで

すべての業務を院長のみで行っている特定少数の方をたいせつにする治療院です。

院長 大塚 俊勝(おおつか としかつ)

院長 大塚俊勝(おおつか としかつ)

1978年8月20生まれ

新潟県湯沢町出身

 

神立小ー湯沢中学校ー六日町高校ー中京大学体育学部

ー東京医療専門学校専科 卒

 

2005年はり師きゅう師国家資格免許取得後、

千葉県内治療院勤務(副院長)を経て、

2013年4月15日に一鍼一灸堂大塚鍼灸治療院を開院

2017年7月南魚沼市西泉田に鍼灸専門の施術所を建設・移転

 

・日本オリンピック委員会強化スタッフ(医科学委員会) 平成29年度、平成30年度 令和元年度

・新潟県鍼灸マッサージ師会 理事

・南魚沼市鍼灸マッサージ師会 会長

・新潟県高体連クロスカントリースキー部 トレーナー

取得資格

  • はり師・きゅう師(国家資格
  • 介護予防運動指導員
  • 体育学士
  • 中学校・高校保健体育科教員免許
  • トレーニング指導士
  • 福祉住環境コーディネーター2級
  • スポーツメンタルトレーナー
  • 福祉用具専門相談員
  • 心理相談員
  • スポーツ鍼灸マッサージ指導者A級(全日本鍼灸マッサージ師会)
  • スポーツシューフィッター(NPO法人日本フットトレーナー協会)
  • せんねん灸セルフケアサポーター(新潟県で初認定
  • ランナーズマイスター第1期生中級資格保有者(新潟県で初
  • うつ病アドバイザー

院外活動・トレーナー活動(一例)

2013/9/8 中京大学スキー競技部の合宿に帯同
2013/7/27

南魚沼ジュニアクロカンチームにて

セミナー「中学生のための競技力向上、勝利への戦略」を講演

2016/7~8

リオデジャネイロオリンピック事前国内強化合宿に帯同(2回)

2017/4/28

日本トライアスロン連合ナショナルチーム合宿に帯同

院外活動・トレーナー活動は公式ブログにて公開中です。(ブログを見る

トレーナーとしての活動

2007〜8年 日本大学スキー部コンディショニング
2008年〜 新潟県立八海高等学校クロスカントリースキー部コーチ、トレーナー
2008年〜 中京大学スキー競技部トレーナー
2013年〜 南魚沼ジュニアクロカンコーチ

      2017年~ 日本オリンピック委員会よりトライアスロン競技医科学スタッフとして委嘱される

 

 

所属団体

全日本鍼灸マッサージ師会 新潟県鍼灸マッサージ師会理事 ランニング学会
東京九鍼研究会 南魚沼市鍼灸マッサージ師会会長 なみあし研究会

院長ストーリー

なぜ、鍼灸師を目指したのか?

小学校時代は父親の影響で山登りに行ったり、マラソンをしたりと活発に過ごす。

小さな小学校だったので町内の親善大会に参加するため水泳、陸上、野球、ミニバスケットボール、スキーなど大会前はその競技の練習を行っていた。高学年の時の担任の先生に運動することの楽しさを教えてもらったのはこの頃。

今思えばその時期に色々な種目を経験することによって巧緻性が身に着いたのではないかと推測される。

 

中学時代は夏は野球、冬はクロスカントリースキーに明け暮れていた。

そのころから漠然とスポーツ関係の仕事ができればいいな〜くらいに思っていた学生時代。

走ることは好きだったのでランニングシューズを作りたいという夢も一時期考える。

練習量の増加に伴いあちこちが痛くなり、町の整形外科等によく行ったのもこのころ。

このころから、痛みがなくなるまで練習は中止、シップと痛み止めだけの診察に強く疑問をもち、診察が終わった後もう一度先生にいつになったら運動していいのか?何ならやっていいのか?ダメなのか?を食い下がって聞いていた。

明確な答えを得られずにいつもがっかりしたことを覚えている。

 

高校からはクロスカントリースキー一本に絞り、トレーニングに励む。

恩師がオリンピック選手であったこともあり非常に厳しい練習をこなし、また人間性の向上について徹底的に教えてもらう。

日々のトレーニングが大変でこのころ初めて鍼灸治療やマッサージを受けたりしていた。

手段としての鍼灸から鍼灸で治療していく決意

一生懸命に練習したものの2年生までに結果が出ず、

大学の推薦を得ることができない状況だったので3年生のシーズンは受験勉強をして一般入試で体育大学を目指すことに。

2年生の進路選択の時期に将来のやりたいことがスポーツの現場でなにかしら関わっていきたい思いであったので、日本体育協会に手紙を書いてどのような仕事や勉強をすればいいのか質問する行動にでる。

 

田舎の高校生のつたない手紙に協会は答えてくれ、スポーツトレーナーという職業があることを教えてもらう。

しかし、選手のからだをさわったりケアを行なうためには医療系の資格が必要であることも知る。

慣れ親しんだ鍼灸やマッサージ師の学校に行くか、体育系大学でトレーニングを学びながら実践するのか悩んだ末、

スキーもまだまだやりたかったので体育系大学を目指す。

 

大学は中京大学体育学部に無事、一般入試で合格することができ、すぐにスキー競技部の監督に直接電話し入部を認めてもらう。

周りの部員は全国からの推薦組のみで一般入試で体育会部活に入るのは稀な存在だったようである。

それは学部全体でも言えることで同学年の学部生はほとんどが推薦で入学していた。

 

大学入学直後の残雪スキー合宿で自分の運命を変える方に出会う。

合宿にコンディショニングの話をしに同級生の高校時代の鍼灸の先生が来てくれることに。

その先生のお話にとても感銘を受け、大学で勉強しながら鍼灸の想いが大きくなっていく。

からだだけだなく心にもアプローチするその治療に衝撃を受ける。

 

大学3年生時には夏休みを利用してその先生の元に住み込みでトレーニングをしながら治療を受けたり、

人間性を向上させるために様々なことを教えてもらう。夏休みのあとも時間のある限りその先生の元を訪れた。

そのうちに、単にスポーツ選手に関わりたいから鍼灸の資格を取るのではなく、

鍼灸で先生のようにスポーツに関わりたいと考えるように変わってきた。

 

大学卒業後から紆余曲折あったが鍼灸の専門学校に進む。

学校は昼間働いて少しでも経済的に負担をかけないように夜間部に入学。

夜間部の授業は18時からで仕事は早朝6時30分から毎日フィットネスクラブで運動指導やスタジオレッスンをやっていた。

このころの経験が接客業の良い勉強になり店舗のベストキャスト賞をもらったりと充実した日々を過ごす。

 

無事に国家資格取得後は千葉県内のオリンピックトレーナーの先生の元、

臨床経験を積み、また近隣の整形外科の先生から指導を受けたり、

業務では歩行不能、歩行困難の方の往診もやらせてもらい経験を積む。

在職中から業務と並行して東洋医学的な治療の勉強、

また、クロスカントリースキーをはじめいろいろなスポーツの現場での経験する。

前職の先生からも人間性の向上、こころのアプローチをしっかり勉強させてもらう。

そして満を持して開院

もともと、新潟で地元で自分が助けてもらったはりきゅう治療を広めたい、

効果を実感してもらいたい、また痛み、苦しみを改善して多くの方に喜んでもらえる存在になりたいと思っていた。

 

南魚沼はまだまだはりきゅう治療が一般的ではない地域。

 

私ひとりでは力不足かもしれませんが地道にはりきゅう治療がもっと生活に身近になるよう頑張ります。

そしてひとりでも多くの方に喜んで頂ける存在を目指していきたいと考えております。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

一鍼一灸堂 大塚鍼灸治療院

大塚 俊勝

アクセス
025-772-4411